続いて深谷市へ
①「台湾の郭副代表と共に深谷市へ」
ねぎサミットでも大変お世話になっている小島市長の案内の下、
「ホフマン輪窯」の視察へ。
近代的な官庁街などの整備を推進していた明治政府の政策もあり、明治21(1888)年に操業を開始した「日本煉瓦製造株式会社」。
そこで製造されたレンガは、東京駅や迎賓館などに使用されており、日本の近代化に大きく寄与しました。
しかし、時代とともにレンガ需要は減少し、平成18(2006)年に約120年の歴史に幕を下ろしました。
この日は唯一残るレンガ製造工場「ホフマン輪窯」の中に。
小島市長曰く「何かに使えないかな〜って考えてるんだけど、えらく改修費がかかるんだよな〜」と(苦笑)
そこには、歴史遺産の保存と活用の難しさの現実がありました。
中原恵人